Oct 22, 2009
少年の思いや憧れのサッカーユニフォーム
少年時に夢中にスポーツというのは、誰もが存在していることです。ボール一本でするサッカーは競技人口も多いようですね。サッカーユニフォームに袖を渡すことを日々夢見ている人もいるのです。サッカーユニフォームは、応援用にも使用されているものです。一丸となって応援するスタイルは価値があります。成人すると、なかなか友達を作るのが難しくなる。同じ趣味といっても、習い事お金を賭けているとも限らない。しかし、スポーツクラブは趣味ではなく、健康を考えている個人を行っているが、そこには様々な機関とのスポーツを豊富に準備しているので、そこに様々な人が集まります。スポーツクラブに行くと、人と出会う場でも健康になる場所でもあると思います。
夏の甲子園第13日の18日、県代表の習志野は、日大三(西東京)との準々決勝に臨み0−5で敗れた。日大三のエース吉永健太朗投手(3年)を前にあと1本が出ず、好機を生かせなかった。36年ぶりの準決勝進出はならなかったが、試合後、三塁側のアルプス席からは「よくやった」とねぎらいの拍手が送られた。【荻野公一、花澤茂人】
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▽準々決勝
日大三
030000002=5
000000000=0
習志野
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越えなければならない大きな山が訪れた。「日本一の打線」(小林徹監督)を誇る日大三。三塁側アルプス席では吹奏楽部員が「悔いのない応援をー」といつも以上に気合を入れる。
チャンスは初回に訪れた。宮内和也主将(3年)が四球で出塁し、暴投と犠打で1死三塁。打席には藤井拓也選手(3年)。その2球目。日大三の吉永投手が投球動作に入ると、宮内主将が本塁に向けダッシュ。しかし「(宮内主将が)走るのが見えた」という吉永投手は一瞬の判断で球を高めに外し、藤井選手はスクイズ失敗。宮内選手は本塁と三塁に挟まれアウト。「あそこで点が取れていれば」。試合後、宮内主将は悔やんだ。
直後の二回表、先発の在原一稀投手(2年)が甘い球を痛打され、3点を失う。父昌弘さん(48)は「テンポ良くいつも通りの投球をしてほしい。みんなが援護してくれるから」と願いを込めた。
二、三、四回と三塁まで走者を進めるも、吉永投手に抑え込まれ本塁が遠い。「ああ」とため息が漏れ、しゃがみ込む応援団。そんな中、五回の守備で福山慎吾選手(2年)が見せた。2死一、二塁、もう1点もやれない場面。左翼への飛球を追いかけ、目いっぱい腕を伸ばして球を捕らえた。「一番うれしいプレーだった」と在原投手。ベンチで「ありがとう」と伝えた。
「アルプスからムードを変えるぞ」。吹奏楽部は九回、チャンスの時だけ演奏する「レッツゴー習志野」を先頭打者から響かせた。しかし、最後の打者が二ゴロに打ち取られ、試合は終わった。チアリーダーは涙を必死にこらえ、スタンドの野球部員らは時が止まったようにぼうぜんとしていたが、選手たちがアルプス席の前に駆け寄ると、スタンドからは「よくやったー」と惜しみない拍手が送られた。
◇教え子活躍に笑顔
○…バックネット裏では、藤井拓也選手(3年)が印西市立木刈中野球部時代に監督だった佐々木康弘さん(42)=写真、現・印西中教諭=が教え子を見守った。自身も習志野野球部出身で、87年夏に甲子園に出場。この日の藤井選手と同じ「3番ライト」で、準々決勝でPL学園に敗退した。藤井選手からは甲子園出場が決まった後、「おかげさまで優勝できました」とメールが届いたという。佐々木さんは「教え子の活躍を見るのはとてもうれしい。存分に楽しんでほしい」と目を細めていた。
◇中学旧友にエール
○…皆川健太捕手(3年)と日大三の高山俊選手(同)は、船橋市立七林中時代の同級生。互いに仲が良く、中3の冬には公園で毎日キャッチボールをした。2人でともにやってきた今夏の甲子園。開会式リハーサルですれ違い「対戦できたらいいな」と声をかけ合っていた。そして迎えた対戦。皆川捕手は5番打者の高山選手を「抑えたい」と特別な思いで打席に迎えたが、1安打を許し、試合も日大三に軍配が上がった。試合後、皆川捕手は「対戦できてよかった。優勝してほしい」とさわやかな笑顔でエールを送った。
◇地元も中継に声援
○…習志野を応援するパブリックビューイングが18日、JR津田沼駅南口の商業施設「モリシア津田沼」で行われ、100人を超える市民らが声援を送った。
習志野商工会議所などが主催。約3メートル四方のスクリーンで試合が中継された。一回裏、1死三塁の先制点のチャンスでスクイズに失敗すると「あー」というため息。しかし、その後、随所に見られたファインプレーでは拍手が送られた。観戦した宮本泰介市長は「習志野らしさは出ていたが相手がそれ以上に強かった。ベスト8は大健闘。市民も勇気づけられた」とたたえた。
◇「最高の夏」に感謝
○…アルプス席から声援を送った習志野野球部の元マネジャー、佐藤ちひろさん(17)。今春、親の転勤で兵庫県伊丹市に引っ越した。それまで2年間、寮の掃除や洗濯などでチームを支え、選手たちは「ずっとおれたちのマネジャーだから」と言ってくれた。千葉大会が始まると、試合結果が気になった。エースの泉沢涼太投手(3年)は力強く甲子園での再会を誓ってくれたが、心配で準々決勝からは千葉まで応援に駆けつけた。甲子園では全4試合をアルプス席から応援。この日、試合が終わると選手たちに「最高の夏をありがとう」とメールを送り、「最後までみんなといられてよかった」と笑顔で話した。
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■想球
◇大舞台でのプレー糧に−−宮内和也主将=3年
今大会中、毎試合打順が変わる習志野打線の中で唯一「1番」を打ち続けた宮内和也主将。「チャンスをつくるのが自分の役割」と理解し、四球や死球、何でもいいいから出塁すると心がけた。この日は安打こそなかったが3回、四球を選び出塁した。
だが、一回に藤井拓也選手がスクイズを試みた場面で、自身が本塁を狙うもアウトになったことを悔やむ。「初回を大事に行きたかった」。その後もチームは何度か好機をつくったが、あと1本が出なかった。「在原(一稀投手)に我慢ばっかりさせてしまった」と主将として自責の思いを口にした。
「試合は楽しく」といつも笑顔でプレーしてきた。小林徹監督は「夏場の太陽のよう」と評するが、この日の試合後はいつもの笑顔はなく「自分たちの野球ができなかった」と下を向いた。それでも「大観衆の中でプレーできたことに感謝したい」と気丈に話し、この悔しさを糧にすることを誓って球場を後にした。【荻野公一】
8月19日朝刊
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