May 06, 2009
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第83回選抜高校野球大会は28日、1回戦最後の試合で大垣日大(岐阜)が東北(宮城)に快勝。畑の大会史上11回目となる先頭打者本塁打など先発全員の17安打。左腕・葛西(かっさい)も完封した。阪口慶三監督は前任の東邦(愛知)時代を含めて甲子園通算36勝となり、歴代7位に並んだ。
○大垣日大(岐阜)7−0東北(宮城)●
大垣日大は一回、先頭の畑が初球を右翼ポール際に運ぶソロ本塁打。さらに後藤健の右中間二塁打などで好機を作り、高田の適時打、野々部の2点三塁打、上木の左前適時打とたたみかけ、計5安打で5点を奪った。
東北は二回、斎藤の右前打などで1死一、三塁、三回も小川の右翼フェンス直撃の二塁打などで2死二、三塁としたが、後続が倒れ得点できなかった。
大垣日大は六回、先頭の安藤嘉が右翼線三塁打。2死後、星野、高田の連続適時打で2点を加えた。ここで東北は力投の上村を左翼へ回し、左腕・夏井をマウンドへ送った。
東北は四回以降に安打が出なかったが、九回に小川、茶谷の安打で1死一、二塁と反撃機を作った。しかし後続が断たれて得点ならず。大垣日大・葛西は落ち着いて投げ、10奪三振で完封した。
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大垣日大が立ち上がりに猛攻を見せた。畑が初球を先頭打者本塁打し、1死三塁から高田が適時打。四球を挟んで野々部、上木が連続長短打し、一挙5点を奪った。六回に2点を加えたのも効いた。先発葛西は左腕からの球威、制球力ともによく、4安打完封。
東北は先発上村が球速を欠いた。左打者6人が先発した打線は、10三振を喫して力負けした。
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第83回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催、朝日新聞社後援、阪神甲子園球場特別協力)は28日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で第6日が行われ、東日本大震災で大きな被害を受けた仙台市に学校のある東北(宮城)が第1試合で、大垣日大(岐阜)と対戦。0−7で敗れたが、全力を尽くしたプレーに2万7000人の観衆から絶えず大きな声援が送られた。
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◇帽子に記した「2011・3・11 東日本大震災」
二回にチーム初安打を放った背番号「3」の斎藤圭吾選手(2年)は、多くの人が避難生活を送る仙台市立六郷中の出身。地震が発生した11日の夜、中学時代の友人約40人に「大丈夫か」とメールを送った。一人の幼なじみの女の子からはなかった。
「遅くなったけど、私は大丈夫だったよ」。センバツ開会式翌日の24日に返ってきたメール。「でもお母さんは死んじゃった」と続いていた。
その母親の笑顔を思い出し、胸が痛んだ。携帯の画面上で「この文では傷付けてしまうのでは」とためらい何度も消した。悩んだ末、「お母さんの分も生きろよ。頑張れよ」とメールを送った。「僕が今できることは友人のため、被災地のために、全力以上の力を出すことだけ」。甲子園に来てから思い付いた「宮城県孝行」という言葉を胸に甲子園に立った。終了後、「(女の子には)『宮城のためにおれは全力を出し切った。おまえも頑張れ』とメールしたい」と話した。
控えの内野手・工藤圭祐選手(3年)は地元の同県七ケ浜町が津波に襲われ、小、中学の同級生2人を亡くした。1人は中学時代サッカー部だった男子。もう1人はブラスバンド部の女子で「成人式にクラス全員で会おう」と約束していた。行方不明の友人もいる。
そんな思いを込め、帽子のつばの裏に「2011・3・11 東日本大震災」と記し試合に臨んだ。仙台をたつ前日の18日、新調した帽子に書き込んだ。祖父母が岩手県陸前高田市で被災した戸羽英太郎選手(3年)ら部員5人が次々と続いた。
「センバツに出場させてもらう以上、野球に集中しよう」と、心に決めて甲子園にやってきたが、宿舎の部屋で1人になると、亡くなった2人の顔が浮かぶ。28日朝、帽子をかぶり思った。「普通の生活を送って野球ができる。それがどれだけ幸せなことか」
東北ナインは甲子園の土を持ち帰らなかった。工藤選手は試合後語った。「(震災は)生と死のことを全身で感じる出来事だった。被災地のためという信じるものがあれば、頑張れるとも教えられた。甲子園の土を踏めただけで幸せだった」【津久井達、三村泰揮】
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